東京2020パラリンピックへの道 ―土屋美奈子ー

ギャラリー・ド・ポップには、東京2020パラリンピックを目指し、日々練習に励んでいる1人の社員がいます。

彼女の名前は土屋美奈子さん。柔道70キロ超級で強化選手に指定されている全盲の選手です。

現在彼女は、ギャラリー・ド・ポップに所属しつつ、静岡県伊豆市にある道場で日々稽古に励んでいます。(※2021年1月現在)

東京2020パラリンピックを1年後に控え、世間の気運も高まるいま、その舞台を目指して頑張る私たちの仲間を紹介したいと思います。
彼女の東京2020パラリンピックへの道のりを追いかけ、複数回に渡りインタビュー形式でお送りしていきます。

土屋美奈子
1990年静岡県伊豆市生まれ
15歳で柔道を始め、2016年より牛窪道場へ入門。2013年ギャラリー・ド・ポップ入社。

土屋さんが柔道を始めたきっかけを教えてください。
土屋さん(以下:土)「もともと体育の授業で柔道があって、そこで柔道大会に出ないか?って先生に言われたのが柔道を始めたきっかけだったと、面接ではお話したんですけど、
実はその時にバンドを組んでいて、ボーカルをやってたんです。それで、腹筋を鍛えると声の出し方が変わるっていうことを聞いて、あっ、じゃあ柔道って腹筋鍛えられるからいいんじゃない?と思って。
それが柔道を始めた本当のきっかけです。(笑)」

すごいですね!趣味の為に始めた柔道がここまで続いて。それで、牛窪先生を知ったきっかけっていうのは何だったんですか?
土:「2007年に初めてブラジルで世界大会があったんですけど、それに初めて私が出場した時に出会いました。」

そこから牛窪先生のことを知っていって、指導を受けたいな、と思ったんですか?
土:「そうですね、興味はずっとあって、牛窪道場っていうのもあるという話は聞いていたんですけど、ずっと静岡でパラリンピックに出るんだ!って、地元から出場することにこだわっていたので、
しばらくはそこまで考えてなかったです。」

やはり、地元からパラリンピックに出たいという気持ちが強かったんですね。でもよくそこで、決心して埼玉まで来ましたよね。
土:「いい加減ちょっと、環境を変えないとだめだし、自分の中で、柔道着を着て練習はしてるけど、これ、柔道になってるのかな?っていう不安が日に日に大きくなっていって。
最初、青森県に普段お世話になっている先生がいらしたので、そこへ行く予定で準備していたんです。でも、その先生から「ちょっと来てもらうには申し訳ない練習内容だからごめんね」って言われて。
そこから牛窪道場を紹介していただきました。」

そういった経緯があったんですね。でも土屋さんはやはり、牛窪先生のところへ来てよかったんじゃないですか?
土:「そうですね、ずっと静岡にいて柔道してたら、今ごろ多分辞めてましたね。」
牛窪監督(以下:監)「土屋さんはね、最初の頃は蚊の鳴くような声でしかしゃべれなかった。ここへ来てもう3年くらい経つのかな?まるで変わりましたよね。元気になりました。
食事は身体を作るし、自分を語ることは心を作るので。一番大切なのは栄養素とかね。
それからメンタル面で、その子に合った対処の仕方をしないとなかなか伸びてこない。彼女(土屋さん)は上からガンガン頭ごなしに言われて来たらしくて、縮こまっちゃってたんだよね。
そういうので育つ選手もいるんでしょうけど。」

どんなスタイルで伸びるかは、人それぞれですよね。
監:「そうなんです。勉強なんかとまったく同じで、人によって様々なんですね。勉強だと決まって言われるのが、将来のためだとか、いい学校やいい職業に就けるだとか。でも勉強だけでそんなふうに成功できる人が何人いるかっていう話です。(笑)」

現在はアメリカで行われるIBSA JUDO Qualifierに向けての準備段階だと思いますが、緊張していますか?
土:「はい、かなり緊張してます!パラリンピックへの出場もかかっている大会なので。」
監「人数によってリーグ戦かトーナメント戦か決まるんだけど、十何人とか出てくる場合もあります。それで次はその予選で点数制で東京大会の出場権を争うから他国の選手は大変ですよね。
日本はもう出場枠があるんですよ。主催国ですから。なので、国内で勝ってしまえば出場は決定します。」

※IBSA JUDO Qualifier
国際盲人スポーツ連盟が主宰する国際予選大会。2019年7月2日~5日にアメリカインディアナ州で開催された。

東京2020パラリンピックへの出場メンバーが最終的に確定するのはいつですか?
土:「来年の5月に選手発表と聞いていますが、今年の12月には決定してしまうかもしれません。」
監:「(来年の)5月手前くらいでもう一度予選会があるかどうかだな。」
土:「そうですね、そこがまだわからないです。」
監:「5月手前で予選会が無かった場合にはもう12月には決まりです。全日本視覚障害者柔道選手権という本大会が12月にあるんですよ。それが最終になるか、それとも発表手前の5月になるのか。」

各大会に向けては、練習あるのみですね。
監:「だいぶ意気込みが変わってきましたよね。いま、最終的には、組み手にこだわるってことも大事なんだけど、組み手にこだわりすぎるとこんどはその試合の味付けがなくなっちゃうんだよね。
組み手っていうのは持つ位置が良いか悪いかで…陸上競技のスタートと一緒です。スタートが悪いとそのあと遅れるでしょ?いい組手を持つというのはあれと同じです。
でもスタートだけが良くても後続かない場合があるし。なんともその辺が難しいところではあるんですけどね。」

まずはアメリカの大会、頑張ってください!
土:「ありがとうございます。頑張ります!」

(写真右から牛窪多喜男監督、土屋さん、牛窪喜史(ひさし)先生)

今回アメリカで開催されたIBSA JUDO Qualifierの結果は残念ながら初戦敗退という結果に終わりましたが、残されたチャンスをかけて土屋さんのチャレンジは続きます。
次回は、牛窪道場での稽古ついての様子についてお届けします。